1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
  09 ,2016

ビジネス、心理、マーケティングを軸にいろいろなニュースや事象を分析します


プロフィール

Author:なおゆき
Web広告代理店でシステムエンジニアをしています。
セルフイメージはProblem Analyzer(問題を分析する人)。

このブログでは、IT を中心に
新ビジネスのニュースや現場でよくある問題について
分析します。

検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード
--

Category: スポンサー広告

Tags: ---

 

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

08

Category: 日常

Tags: ---

Comment: 0  Trackback: 0

秘密保護法案に思うこと
秘密保護法案が可決された。その反応はどうも情緒的なもの、否定的なものが多く、私のような素人にはわかりにくい。

こういうときは原理原則に立ちかえって考えるのがよいと思う。ここでは政治における原則を2つあげておく。

①継続と変革
②立憲主義

国家が優位性をたもつために、外交・軍事はオープンにできない代物である。これらに一貫性がなくては、その政府は他国から正統性を疑われる。ある国では政権が変わった場合、内政は変わっても、外交は変わらないようにしていると聞く。それは、一貫性と正統性のためである。

一方で立憲主義の本質は権力の分散にある。権力が集中するとある種の熱病にうかされ、判断を誤る。そのことを指摘したのはプラトンだった。君主が有能であることは稀であり、凡庸であることはほとんど常であり、無能や邪悪であることは悲劇を生む。そのことを指摘したのはバジョットだった(だろうか)。

政治の中で立法、行政、司法に分割された。立法の中でも、純粋な立法としての役割とチェックする役割に分割された。さらに政府を監視する機能として投票者が存在した。投票者に政治を解説するものとしてジャーナリズムが機能した。とくに投票者のチェック機能は知る権利として規定された。


さてお気づきだろうか。外交・軍事の秘密性・一貫性と投票者の知る権利は対立している。民主主義国家がかかえる本質的な対立なのである。

かつてはジャーナリズムもこのところをわきまえていたらしい。佐藤優さんの著書によると、近年、外交問題に発展しかねないスクープがあった。体制に反発することを由とする幼稚なリベラリズム、とでもいうべき報道がなされたことは嘆かわしい。

また尖閣諸島問題で海上保安部保安官が動画を流出させたこともあった。これは当時の政権が中国へ弱腰だったこと、真実が隠されていたことへの不満として出されたものだった。しかし同盟国からみれば、共有した機密情報がもれる可能性を疑いたくなるであろう。


要はこの矛盾をうまいことやっていくことが民主主義国家の課題のひとつである。方法には二つある。法による規制と良識による運用である。今回実施されたのが法による規制だった。

近代以降、知識は平等化が促進されてきた。Webによって情報は世界中へ拡散するようになった。国境というものを超えたレイヤーで情報が行き来するようになった。かつては大きな隔たりであった国境が陳腐化しているのである。その意味で法による規制は時代に逆行するものと言えよう。

可能性をもつのは、良識による運用である。政権を担当するものが教養を持ち、自らの世界観を、国民のみならず、世界中の人々に伝えねばならない。それは企業がおこなうブランディングとマーケティングと同じである。政治の仕事に携わる者の知識を方向づけ、成果としなければならない。それは企業がおこなうマネジメントと同じである。そして自らの影響が起きたときに、迅速に誠実に説明し、対策を打たねばならない。それは企業がおこなうリスクマネジメントと同じである。


政治と行政にたずさわる方々が良識ある運用をされることを望む。

スポンサーサイト

01

Category: マネジメント

Tags: ---

Comment: 0  Trackback: 0

存在の絶望的な矮小さを克服する
最近、私は絶望と希望の間で行ったり、来たりしている。

私は某Web広告代理店でSEをしている。自社製品があるが、Googleをはじめとして、海外のツールは極めて優秀である。画面は直観的で使いやすい。掘り下げて分析できる。そのバランスが秀逸である。結果、簡単なのに手間がかかる仕事が残る。タスク管理か、瞬発力と回転数で勝負することになる。これでは自らの市場価値を高めている気がしない。今後、グローバル化のために海外の人材が入ってくることになるだろう。現状と自分の才能をかんがみると、勝てない、と思う。世界の市場の中で自分を想像すると、暗澹たる気分になるのである。どこかのマンガではないが、「絶望した!」と叫びたくなるのである。

だが、他業種の人と飲みに行った時は違う。ときどき私はWeb広告について相談される。相手に合わせて、できることとベネフィットを話してあげる。それから顧客、顧客が感じている価値、市場などの背景などを聞いていく。そうしてマーケティングの背策やら、ビジネスモデルの変更やらを酔いに任せて提案する。これが喜ばれるのだ。現在、これを何とかよい方向に持っていくためにいろいろと試しているところである。

■グローバル化と個人の存在の矮小化
ところでこの絶望は厄介なものに思う。グローバル化した世界で、個人の存在が相対的に小さく感じられるために生じる。このことは19世紀に『アメリカのデモクラシー』にてトクヴィルが分析したことと相似したものである。論旨の一部は以下のようなものだったと思う。

貴族が荘園を統治していた時代。社会はいくつかの階層からなっていた。個人が所属する階層には、彼自身が認識できる人々しかいなかった。彼にとって社会は彼が属する階層であり、彼の個人の尊厳はその階層の中で意味づけられれば満たされた。

ときは下り、革命が起きた。市民は平等を約束された。平等は階層をなくす。平等は個人に対して、社会を巨大なものにした。平等は、ときに市民を利己主義に走らせ、ときに市民を個人主義に走らせる。利己主義は悪に由来するが、個人主義は無知に由来する。とくに後者は公共の徳を枯らせてしまう。


アメリカの政治はこのあたりの機微をうまくとらえて回避しているのだが、くわしくは原著に譲る。

現代になると、どうなるか?世界と個人の対比となる。個人の矮小化は19世紀の比ではあるまい。

ドラッカーは「個人のルーツを意識するようになる」と言った。ある時点まで話題にならなかったことが話されるようになった。「私はユダヤ人」「私はイタリア系アメリカ人」「私は…」などなど。


私見であるが、この行為は個人の存在に時間的な厚みを持たせることなのではないか、と推察する。グローバル化の中では自己の存在が小さくとも、ルーツを意識すれば歴史的な存在となる。セルフイメージを拡大することができるのである。

しかし、この方法は危うさを持っている。民族主義につけこまれる可能性をもつ。平等で機能する社会であるためには別の方法が望ましい。

■組織とマネジメント
営利であれ、非営利であれ、個人の存在は組織が緩衝材となる。その目的は社会が規定する。社会がその価値観によって善である、もしくは必要であるとみなされることである。なぜなら組織は社会の器官だからである。営利企業であれば顧客の創造である。非営利組織であれば満足させたい人々の人生が変わることである。

組織は固有のミッション(存在理由)をもつ。それは組織がなすべきことである。組織は固有の価値観をもつ。それは組織がなすべきこと、なさざるべきことを区別する基準となる。組織は固有の強みを磨かねばならない。それなくしては偉大なことはなしえない。そして組織はビジョンにむけて行動する。それは旅行で北海道に向かうのか、ハワイに向かうのか、決めるようなものである。間違えれば後に大きな修正を迫られる。

これらはベクトルである。始点は現在のミッション、価値観、強みがある。終点はビジョンがある。組織に属する人はこれらのいずれかを信じている(そうでなければ、組織を去った方がよい)。ビジョンを語る人は約束の地へみちびく預言者のようなものだ。ビジョンを語る人は賛同してくれる人、応援してくれる人、共に歩んでくれる人を必要とする。とくに共に歩んでくれる人は自分より大きな、何か意味あるモノに貢献していると感じるかもしれない。このとき個人の存在の矮小さは解消される。

ユニクロの柳井正さんが『わがドラッカー流経営論』にて、ビジネスは宗教活動のようなものだと思う、とポロっと言った。優良といわれる組織には、ある意味宗教的な情熱や忠誠心があることがある。ナイキの社員には自らナイキの刺青を入れるものがいると聞く。それを見たコンサルティング・ファームからの転職者はドン引きだったとか。スターバックスで新商品について尋ねると的確な答えが返ってくる。一年前のガトーショコラとくらべて味が軽くなったことを話すと、大いに共感するのである。

しかし一歩間違うと、この情熱は組織を全体主義におとしめる。個人が独自の強みを見られずに替えが効く部品とみなされている場合、個人の価値観が認められていない場合である。これは個人の忠誠心につけこんで貢献を搾取していることに等しい。組織と個人が健全な関係を結ぶには、個人の多様な強み、そして価値観と尊厳が認められていることが必要である。

■セルフイメージ
しかし自分が共感できるものがなかったり、貢献したいと思える組織がないこともあるだろう。そして何か成し遂げたいのに、何をすべきかわからないことも。もしもそうなら、セルフイメージを拡大することをすすめたい。基本のプロセスは、実践し、成果をあげ、内省することの繰り返しである。方法については大きく三つある。①実践の中で探す、②思索や思考によって探す、③啓示を得る、の三つである。

①実践の中で探す
これには3つある。強みをさがす、燃えるものをみつける、ところを見つける、である。強みを見つけるにはフィードバック分析をおこなう。まず、これから9か月で期待するものをリストにあげる。9ヶ月後にノートを開くとたいてい外れている。重要なのは予想以上に成果をあげたものである。これが強みである可能性が高い。燃えるものを見つけるには内なる小さな声に耳を傾けることだ。状況によっては断れないこともあるだろう。しかし自身を犠牲にしすぎてはならない。そして得意な仕事のスタイルをみつけることである。それを認めてくれる組織、認めてくれない組織があるだろう。認めてくれない組織にいるのはたがいにとって不幸である。早々に立ち去るべきだ。

②思考や思索によって探す
アリストテレスの4原因をつかって考える。質料(具体的な原因)、形相(本質的な原因)、作用(現在働いている原因)、目的(未来の向かうべき方向)である。通常の思考では質料因と作用因でしか考えていない。多くの問題解決ツールは、ある時点において、質料と形相の間を行き来するものである。シナリオプランニングは作用と目的の間をつなぐことに陥りやすい。この4つの視点から多面的に思索することをすすめる。

なお、U理論や全脳思考は上記の4原因をカバーしている可能性がある。

③啓示を得る
冗談のような小見出しだが、最近はバカにできなくなってきたものである。夢、頭に浮かんだイメージなどを意味あるものとして推論する方法である。歴史的に有名な例はいくつもある。尾を加えあう二頭の蛇を夢に見た研究者がベンゼン環を発見。光に追いつこうとする夢がもとになって、特殊相対性理論を考案。こういった発見をしやすくするため、瞑想してリラックスすることが見直されている。

自らの価値観やミッションを知るには、こういった直観を上手に活用する方法も有効になるだろう。

しかし自分で実現したいことをみつけても、個人の思い込みかもしれない。それが意味あるものか、社会にとって善であるかは、社会が規定する。営利企業であれば顧客を創造できなければ意味がない。非営利組織であれば満足させたい人の人生が変わらなければ意味がない。社会によって判定されるのである。この内省から社会よる判定は一回のサイクルで決まることはほとんどない。ユニクロの柳井さんが言うがごとく、「一勝九敗」の程度である。



以上、グローバル化の時代に個人の存在の尊厳をえる方法について考察してみた。リーダーはことをなせということだし、フォロワーは価値あるものに参画せよ、ということだ。いずれにせよ、両者は社会にとって価値あると思うこと信ずることのために行動するのである。それはこの世界を多様な多くの善で満たしていくことに他ならない。

あなたの行動がより多くの善を生むことを願う。

テーマ : ビジネスブログ    ジャンル : ビジネス

09

Category: ビジネス

Tags: ---

Comment: 0  Trackback: 0

知識財産権(特許権)の諸問題について
社内において発明された知的財産権(特許権)が個人から会社へと移行しようとしている。

近年の青色LEDを皮切りに、十分な報酬をもらっていないと発明者たちが感じていないためである。

これには三つの問いに答えねばならない。
 ①発明者は事業にどれだけ貢献したか。
 ②企業は発明者へどのように評価すべきか。
 ③企業は発明者へどのように報いるべきか。

まずは特許権の歴史を振り返ることから始めたい。以下、Wikiより引用したものである。

1623年にイギリス議会で制定された専売条例(Statute of Monopolies)は、それまで国王が恣意的に認めてきた特許を制限し、発明と新規事業のみを対象として、一定期間(最長14年間)に限って独占権を認めるとともに、権利侵害に対する救済として損害賠償請求を規定した。この条例の制定によって、近代的な特許制度の基本的な考え方が確立されたとされる。また、この条例は、ジェームズ・ワットの蒸気機関(1769年)や、リチャード・アークライトの水車紡績機(1771年)等の画期的な発明がなされる環境を整え、英国に産業革命をもたらしたと評価されている。

1883年には、工業所有権の保護に関するパリ条約(パリ条約)が締結され、内国民待遇の原則、優先権制度、各国工業所有権独立の原則など、特許に関する国際的な基本原則が定められた。



記憶ベースだが、ドラッカーの書かれていたものを引き合いに出したい。

制度面ではこの通りだが、社会の認識も移り変わりがあった。明確には分かっていないが、ある時代までは発明者が権利を独占し、産業の進展を妨げるものと考えられていた。しかしある時代からは、産業を進展させるために必要なものとみなされるにいたった。



重要なのは知的財産権が設立した時代と現代とは社会の構造が全く違うことにある。

20世紀前半、より正確には第二次世界大戦までは、発明者が新規事業の王だった。才能ある職人や発明者が特許を出願する。それに資本家が出資する。機械や工場をつくって、人を雇う。そして商品を売る。事業主と発明者が一致していた。

20世紀中盤になると、事情は変わってくる。企業は大規模化し、GMにならって事業部制が流行する。経営管理者が事業の優位性を決めるようになる。企業は組織化され、一人の天才に期待するわけにはいかない。凡人をもって非凡なことをしなければならないのである。凡人をもってイノベーションをしなければならないのである。そうなるとマネジメントは、発明可能性の人材ポートフォリオとして発明者を配置する。オーケストラに喩えよう。19世紀なら発明者は指揮者たりえただろうが、20世紀になってからは主な旋律を奏でるバイオリンなのかもしれない。

したがって第一の問いへの回答は、発明者の貢献はバイオリンほどのものである。あくまで発明することは彼の役割である。事業を創造することではない。指揮者のようにマネジメントほどの責任をとる立場にはない。さしたる取り決めもないままに、それ以上の報酬を求めるのは強欲というものである。


次に第二の問い、評価である。評価を決めるためには、何をもって貢献するか、どのような責任を負うか、を決めなければならない。これはマネジメントの課題である。

前者は自明である。事業をつくる発明である。後者は難しい。なぜなら未知のものに取り組むには結果責任だけでは時間がかかりすぎるからである。『イノベーションを実行する』という本によれば、不確実性と職務内容に応じて、三つの責任が存在する。結果責任、行動責任、学習責任である。業種によるのでここは種類を上げるのみとする。詳しくは書籍を参考されたい。



第三の問い、報酬である。そのためにはコストについて理解しなければならない。

コストには三種類ある。一つ目は機材のコストである。二つ目は働く人に支払う人件費である。三つ目は明日に存在し続けるための未来のコスト、利益である。利益については二つの役割がある。新しい人を雇用するためのコスト。もうひとつは、事業が陳腐化する前に新たなイノベーションを起こすためのコストである。「利益なくしてイノベーションなし、イノベーションなくして利益なし」と言われるのは、この故である。

過去において今日の事業をつくったと言え、それは過去の事業の利益をもとにしている。その上に研究を重ねている。いくらかの個人の才によって貢献したとしても、礎を作ってくれた人を忘れて自らの成果を主張するのは傲慢というものである。

しかし、このような研究者なくして新たなイノベーションが生まれなかったことも事実である。現業と未来の事業の調和をせず、研究者の不満をまねいた責任はマネジメントにあると考える。

マネジメントとしては事業に影響が出るほど、金銭面で支払えないかもしれない。代わりにできることは貢献していることを認めることである。研究者の自己実現の探究を手助けすることである。その手段として、パートナーとして、組織が存在していることを伝えることである。


まとめよう。結局のところ、ほとんどがドラッカーの言っていた通りだが。

知識による権威はマネジメントによる権威と同等に正統なものである。しかし、貢献で言えばオーケーストらのバイオリンと同等のものであり、指揮者ほどのものではない。マネジメントは知識労働者に方向性を与え、貢献と責任を求めなければならない。おそらく研究者について結果責任は強く問えないであろうから、行動・学習責任のいずれかを問うことになる。その報酬は相応のものとなる。しかしパートナーとして自己実現の手段として、組織が研究者を報いるならば、このような問題は解消するかもしれない。

テーマ : ビジネス    ジャンル : ビジネス

20

Category: 日常

Tags: ---

Comment: 0  Trackback: 0

なぜ橋本知事の発言は世界中で反感を買ったのか
先週、橋本知事の発言が世界中のメディアで取り上げられた。率直に言ってひんしゅくと言っていいだろう。日本でも多くの方々が分析、論評を重ねている――英語の訳が悪意に満ちている。彼のような立場の人が言ってはだめだろう。言っていることは正しい――などなど。

個人的な見解だが、西洋の伝統的な教養から見ると、彼の発言/反論は前提がずれているように見受けられた。ここでいう教養とは、社会のリーダーたちが身につけるべき、知識と実践である。浅学の身ながら、哲学、自由意思、正統保守主義から愚考を述べてみたい。もっとも、私の考察自体、的がはずれているかもしれないが。


①前提
【自由と多様性】

自由とは何か。それは選択と責任のことである。しかし、その選択は機械的に定められたものではないか、本当に人間に自由意思はあるか――これは古代ギリシャ時代からの命題だったようだ。アリストテレス、トマス・アクィナスにその答えがあるように思われる。

いずれにせよ、この命題では神の存在が議論される。神とは完全な存在である。それゆえに物質的な制約は受けない。ゆえに精神的な存在とされる。それは知性において完全である。

人間は物質的な制約を受ける。精神的にも弱く、不完全な存在である。しかしそれぞれは様々な徳性を持つ。不完全であるがゆえに、人は多様となる。人は、その徳性に基づいて、神の知性へ近づこうとする。その道筋において、それぞれが選択する。これが自由意思である(という話だったと思う…)。


【継続と変革】
この選択については、主に三つの戦略がとられているように思う。それは文化や価値観などの精神的なものと、技術や仕組みなどの実利的なものにおいてなされる。

A. 精神的なもの、実利の両方を残す
  →伝統至上主義、過去のものに真理や英知があるとする、自己愛に陥って衰退すること多し

B. 精神的なものを残し、実利を変える
  →イギリス名誉革命、アメリカ独立戦争、戦後日本の和魂洋才、P&G の経営改革

C. 精神的なもの、実利の両方を変える
  →フランス革命、ロシア革命、最近だと民主党の政策

これらのうち、継続と変革のバランスをとることを考える B が正統保守主義といわれるものである。

変革しないものは停滞し、いずれ衰退する。それゆえに変革はなされなければならない。しかしその変革には痛みをともなうかもしれない。影響を受ける人々のあり方、尊厳を損なわないようにしなければならない。だからこそ、継続する部分を残さなければならないのでだ。

そして①とあわせて考えれば、変革は神の知へと近づく営みでもある。


【神は悪を許すことはあるが、それを求めるというわけではない】
人間はときに過ちを犯すものである。その過ちを認め、真摯に神の知へと近づく営みに活かすことは、過ちを犯した者の義務となる。そして十分な償いをしたとき、神は悪を許すのかもしれない。

だからといって、神は積極的に悪を求める、といわけではない。ここを履き違えてはならない。


②風俗活用発言
さて、下準備がようやく整った。

風俗を活用しては、と知事は米軍に申し入れたという。

米軍は、世界の自由を守る、という大義を負っている。その精神的な面がおとしめられるようなことがあってはならないのだ。個人が隠れて利用することと組織が認めることは全く違う。組織を支持する母体、アメリカという国に深刻なダメージを与えてしまう。

過去の米軍にて犯罪者が出たことはあっただろう。その取り扱いに地元から怒りの声があがったこともあった。だからと言って、悪を積極的に認めてはならないのである。繰り返しになるが、それを認めてはアメリカという国の価値観が崩壊してしまいかねない。彼らはそれを真摯に受け止め、組織を改善する義務がある。その一つとして、兵士の風紀をとりしまっているのかもしれない。

米軍からすると、過去の痛いところをついて、価値観をおとしめるような提案をされたように感じたかもしれない。いくら正論であっても、これでは相手の面子を潰してしまう。


③従軍慰安婦発言
当時の状況を説明するために、従軍慰安婦について話したそうだ。どうもはめられたように見受けたが、その後の対応は

「当時は必要だったが、今は必要と言ってない」

歴史的にはさまざまな観点があるが、今の文脈では悪である。政治的な立場としては、過去の過ちとしてみとめ、それを償うために日本は世界の国々に貢献してきた、というところを強調すべきだったと思う。


④伝統的な意味での教養
社会的なリーダーとは、組織の価値観を体現する存在である。そのために教養を身につけ、徳を実践し、その地位に就く前から十分な修養が必要となる。

橋本知事の一連の発言は、日本の価値観を疑われるものである。キレのある発言で人気を博してきたが、教養と徳を身につけ、社会の価値観を体現する存在となってもらいたい、と思う次第である。

テーマ : 気になったニュース    ジャンル : ニュース

01

Category: ビジネス

Tags: ---

Comment: 0  Trackback: 1

リスク制約の経済、もしくは持続可能な社会
■正論と俗論、そして真の問題

原発で世論が二分されている。

原発廃止!子供たちの未来を守れ!
原発継続!経済が立ち行かない!

互いに、「自分が正論、相手が俗論」と信じて疑わない。

これってどこかで聞いた話ではなかろうか。
そう、幕末である。

尊王攘夷をとなえていたが、
いつしか倒幕と佐幕の二元論。
いやいや、日本を守るために日本を強くする、
というのが問題の根底にあったが、
先送りで何も決断しない幕府はやぶれて
新政府が樹立された。

現状を維持して危機を直視しない者はいずれ去る。
僕らは歴史が繰り返される場面に立ち会っているのかもしれない。


だとすると当時の富国強兵に該当するものは何だろうか。
まず、問題を正確に定義しなければならない。


■リスクをとる経済

原発に賛成するにせよ、反対するにせよ、
経済と社会において国民の幸福を守ることだろう。

問題がない派の主張は二つだろうか。
①他のリスクもあるので、そんなに変わらないだろう
②電力を供給しつづけないと、日本の経済は立ちゆかない

問題がある派の主張はほぼ一点につきる。
③決して、核物質を世界中に飛散させることがあってはならない

要は現時点で原発を稼働して日本の経済をささえるかわりに、
核物質を日本中、世界中に飛散させるリスクをとるか、ということである。


■そのリスクは後から取り返しがつくか

プロジェクト管理の知識と同じにしてよいか分からないが。。
リスク管理について考えるポイントは2つある。

発生確率と影響度だ。

震災が起こる前であれば発生確率は無視できると考えられていた。
いろいろスキャンダラスな暴露話があるが、あの判断は仕方がないと思う。

しかし、今は違う。
今後、30年以内にM7の地震が発生する確率は70%という試算が出ている。
発生確率は無視できない数値だ。

そして影響度も無視できない。
津波で電源設備が破壊された中、あの程度で済んだのは運がよかっただけだった。
チェルノブイリ以上の問題が発生してもおかしくなかった。


となると、トラブルが発生することは織り込んでおかなければならない。
そのときにコンテンジェンシープラン(緊急時対応計画)を用意するのが定石である。
要はトラブルが発生しても取り返しがつくように準備しておくのである。

たとえば
ただちに除染できる技術を準備しておく。とか。
大気中に飛散しすると未来的な大規模シェルターで空間ごと遮蔽される。とか(笑)。

方法は想像の域を出ない。
決定的に安全な方法がないと思う。



■そのリスクはコントロールできるか

では事前に地震が発生しても、
発生確率と影響度を下げる対策はあるだろうか。
そのリスクはコントロールできるか。

リスク対策としては基本的に4つが考えられる。
「回避」「転嫁」「軽減」「受容」

回避:原発をやめる。今の世論はコレ。
転嫁:他の人に任せても解決しない。
軽減:原発の稼働数を減らす。地震の兆候が見られたら停止。
   →完全停止するまで時間がかかるから意味がないか?
受容:原発を続ける。もう一つの世論はコレ。

いずれにせよ、影響度が大きすぎる。
幕末風に言えば、この判断は国家100年の計か。

ただ影響が世界的、かつ、半減期は長いもので10億年単位。。なので、
人類1000年の計にあたると言っても過言ではない。

この原発の判断如何で、日本人は後世の人たちから
「世界を破滅に巻き込んだ愚かな民」と呪われ続けるか、
「世界を救うためにエゴを捨てた民」と祝福されるか、
の分かれ目にある。。かもしれない。
(表現が中二病的ですみませぬ。。)

もしかするといずれは原発もコントロール可能な技術になり、
リスクは0となるかもしれない。
しかし、そうなるまでは使うべきではないと思う。

自分のエゴのために、取り返しがつかなくなるリスクをとってはならない。


■リスク制約の経済、持続可能社会の条件

さて、これを経済というスコープにまで広げてみると、
これまではリスクのとり方に制限がなかった。
自分のコントロールできないところ、
追跡できないところにまでリスクを分散させた。

またレバレッジを効かせることでリスクを大きくとり、リターンを大きくした。
最悪の場合には、自分が責任をとれなくなるかもしれないのに。

おそらく、ここ数年の問題は根っこが共通していると思う。
リスクに制約を設けず、責任が取れないところ、
コントロールできないところまで広げたことが根本にある。

さまざまな資源には制約がある。
食糧しかり、エネルギーしかり、水しかり。
その制約の中で生きていくべく、社会と経済を再生させる。
そんな転換点にいるのではないだろうか。

そんなことをこの数週間で考えた。
いつか技術がこの問題を救うことを夢見たいところだが、
今の時代の判断に責任をとる。
そんな社会を後世に残したいものである。

Continue

テーマ : どーでもいいこと    ジャンル : コンピュータ

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。