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  11 ,2017

ビジネス、心理、マーケティングを軸にいろいろなニュースや事象を分析します


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なおゆき

Author:なおゆき
Web広告代理店でシステムエンジニアをしています。
セルフイメージはProblem Analyzer(問題を分析する人)。

このブログでは、IT を中心に
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知識財産権(特許権)の諸問題について
社内において発明された知的財産権(特許権)が個人から会社へと移行しようとしている。

近年の青色LEDを皮切りに、十分な報酬をもらっていないと発明者たちが感じていないためである。

これには三つの問いに答えねばならない。
 ①発明者は事業にどれだけ貢献したか。
 ②企業は発明者へどのように評価すべきか。
 ③企業は発明者へどのように報いるべきか。

まずは特許権の歴史を振り返ることから始めたい。以下、Wikiより引用したものである。

1623年にイギリス議会で制定された専売条例(Statute of Monopolies)は、それまで国王が恣意的に認めてきた特許を制限し、発明と新規事業のみを対象として、一定期間(最長14年間)に限って独占権を認めるとともに、権利侵害に対する救済として損害賠償請求を規定した。この条例の制定によって、近代的な特許制度の基本的な考え方が確立されたとされる。また、この条例は、ジェームズ・ワットの蒸気機関(1769年)や、リチャード・アークライトの水車紡績機(1771年)等の画期的な発明がなされる環境を整え、英国に産業革命をもたらしたと評価されている。

1883年には、工業所有権の保護に関するパリ条約(パリ条約)が締結され、内国民待遇の原則、優先権制度、各国工業所有権独立の原則など、特許に関する国際的な基本原則が定められた。



記憶ベースだが、ドラッカーの書かれていたものを引き合いに出したい。

制度面ではこの通りだが、社会の認識も移り変わりがあった。明確には分かっていないが、ある時代までは発明者が権利を独占し、産業の進展を妨げるものと考えられていた。しかしある時代からは、産業を進展させるために必要なものとみなされるにいたった。



重要なのは知的財産権が設立した時代と現代とは社会の構造が全く違うことにある。

20世紀前半、より正確には第二次世界大戦までは、発明者が新規事業の王だった。才能ある職人や発明者が特許を出願する。それに資本家が出資する。機械や工場をつくって、人を雇う。そして商品を売る。事業主と発明者が一致していた。

20世紀中盤になると、事情は変わってくる。企業は大規模化し、GMにならって事業部制が流行する。経営管理者が事業の優位性を決めるようになる。企業は組織化され、一人の天才に期待するわけにはいかない。凡人をもって非凡なことをしなければならないのである。凡人をもってイノベーションをしなければならないのである。そうなるとマネジメントは、発明可能性の人材ポートフォリオとして発明者を配置する。オーケストラに喩えよう。19世紀なら発明者は指揮者たりえただろうが、20世紀になってからは主な旋律を奏でるバイオリンなのかもしれない。

したがって第一の問いへの回答は、発明者の貢献はバイオリンほどのものである。あくまで発明することは彼の役割である。事業を創造することではない。指揮者のようにマネジメントほどの責任をとる立場にはない。さしたる取り決めもないままに、それ以上の報酬を求めるのは強欲というものである。


次に第二の問い、評価である。評価を決めるためには、何をもって貢献するか、どのような責任を負うか、を決めなければならない。これはマネジメントの課題である。

前者は自明である。事業をつくる発明である。後者は難しい。なぜなら未知のものに取り組むには結果責任だけでは時間がかかりすぎるからである。『イノベーションを実行する』という本によれば、不確実性と職務内容に応じて、三つの責任が存在する。結果責任、行動責任、学習責任である。業種によるのでここは種類を上げるのみとする。詳しくは書籍を参考されたい。



第三の問い、報酬である。そのためにはコストについて理解しなければならない。

コストには三種類ある。一つ目は機材のコストである。二つ目は働く人に支払う人件費である。三つ目は明日に存在し続けるための未来のコスト、利益である。利益については二つの役割がある。新しい人を雇用するためのコスト。もうひとつは、事業が陳腐化する前に新たなイノベーションを起こすためのコストである。「利益なくしてイノベーションなし、イノベーションなくして利益なし」と言われるのは、この故である。

過去において今日の事業をつくったと言え、それは過去の事業の利益をもとにしている。その上に研究を重ねている。いくらかの個人の才によって貢献したとしても、礎を作ってくれた人を忘れて自らの成果を主張するのは傲慢というものである。

しかし、このような研究者なくして新たなイノベーションが生まれなかったことも事実である。現業と未来の事業の調和をせず、研究者の不満をまねいた責任はマネジメントにあると考える。

マネジメントとしては事業に影響が出るほど、金銭面で支払えないかもしれない。代わりにできることは貢献していることを認めることである。研究者の自己実現の探究を手助けすることである。その手段として、パートナーとして、組織が存在していることを伝えることである。


まとめよう。結局のところ、ほとんどがドラッカーの言っていた通りだが。

知識による権威はマネジメントによる権威と同等に正統なものである。しかし、貢献で言えばオーケーストらのバイオリンと同等のものであり、指揮者ほどのものではない。マネジメントは知識労働者に方向性を与え、貢献と責任を求めなければならない。おそらく研究者について結果責任は強く問えないであろうから、行動・学習責任のいずれかを問うことになる。その報酬は相応のものとなる。しかしパートナーとして自己実現の手段として、組織が研究者を報いるならば、このような問題は解消するかもしれない。
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